松末 英司

ワシントン大学医学部 放射線科(ワシントン州シアトル)

ワシントン大学留学報告

2007年の4月から2008年の3月まで、ワシントン州シアトルにあるワシントン大学へ留学する機会をいただき、家族共々行って参りました。

ワシントン州は、アメリカの西海岸の最北の州で、カナダとの国境にあります。面積は日本の47%。人口は600万人。別名ever green stateと呼ばれていますが、東半分は半砂漠地帯となっていますが、りんごの生産が盛んで、全米1の生産量を誇っています。州の中央には全米で最大規模の水力発電所である、Grand coulee damがあります。州の西部は、西海岸の入江沿いに都市が散在していますが、そのまわりは、三つの国立公園(North cascade national park,Olympic national park,Mt.Lanier national park)でもある山脈に囲まれています。Mt.Lanierは、標高4300mで、ワシントン州のシンボルです。山頂付近には氷河が残っています。また、西海岸には、世界遺産の温帯雨林があり、チューリップの生産が、オランダに次いで世界第2位のLa Connerという町は、春にはチューリップフェスティバルで賑わいます。冬には白頭ワシ、秋にはオルカのウォッチングにと、アメリカ各地から観光客がやってきます。ワシントン州の最大都市は、シアトルですが、人口は60万人程度です。主な企業は、マイクロソフト(近傍のレドモンドにあります)、Amazon.com,スターバックスの本社があります。シアトルマリナーズのセイフィコフィールドが有名ですが、隠れた名所としては、ブルースリー親子の墓、高架下にある化け物像(トロール)などでしょうか?シアトルの気候は、緯度は北海道と同じぐらいにも関らず、暖流のおかげで冬でも氷点下となることは珍しく、雪もめったに降りません。しかし、秋~冬にかけては曇りの日が多く、霧雨のような細かい雨がシトシトと続くことも多いのですが、山陰の気候に鍛えられていたため、全く苦にはなりませんでした。

ワシントン大学(University of Washington)は、1861年に創立され、アメリカ西海岸最古の州立大学です。キャンパスは、シアトルのダウンタウンから、北東のLake Union沿岸に拡がっています。学部数16の総合大学で、医学・生物学・海洋学・宇宙工学が有名です。医学部は全米でもトップ10にランクされる規模であり、メディカルセンターのベッド数は1500床です。

放射線科

放射線科は臨床および研究部門を含めてですが、146名のスタッフと40名の教授がいます。放射線科の読影業務に関しては、軀幹部の読影は6,7人(確定医が3~4名)、頭頸部・中枢神経系の読影は、3,4人(確定医が2~3名)で毎日読影していました。CTはGE社製(64列検出器)が2台あって、1日、80-100件程度、撮像され、MRIは、Philips社製の1.5Tと3.0Tが1台ずつあり、1日、30件程度、撮像されていました。現在の鳥取大学の1日の撮像件数とほぼ同じですが、確定医の数が1.5倍で、かなりゆとりがあるように感じられました。さらに、スタッフは週1回の研究日が割り当てられており、臨床のみならず、研究のほうにもゆとりをもって取り組むことができる体制が組まれていました。

神経放射線科のKenneth Maravilla教授のもとで

研究に関しては、神経放射線科のKenneth Maravilla教授のもとで、勉強をさせていただきました。Maravilla教授は、かつてはAJNRのeditorもされており、臨床のみならず、沢山の研究員やDr.の研究の指導を現在も精力的にされていますが、とてもフレンドリーな先生で、プライベートでも大変お世話になり、家族ともども、食事やイベントに連れて行ってもらうことも多々ありました。そのようなMaravilla教授がいつも僕に言われたのが、“留学した時、大切なことのひとつとして、家族と旅行に行くこと"だったので、ワシントン州内の観光地は、家族と一緒に、ほとんど網羅できたように思います。Maravilla教授から提示された研究テーマは、グリオーマの放射線治療後変化と腫瘍再発との判別を、拡散強調像、灌流画像およびMRスペクトロスコピーを用いて検討することでした。放射線治療後の再発と治療後変化の判別は、通常、造影MRIで行われることが一般的です。拡散強調像はともかくとして、留学するまで、あまり馴染みの無かった灌流画像およびMRスペクトロスコピーを、どのように解析したら良いのか、当初よくわかりませんでした。分からないところに遭遇するたびに、それをどのようにそれを英語で的確に質問したら良いか?ということに直面しましたが、英語で質問を考えている内に、知らずと自分で問題が解決してしまうことが多かったように思います。英会話能力があれば、もう少しスムースに研究が進んだのかもしれませんが、全く新しい分野に関しても、自分のペースで研究を進められたことは、自信になったと思います。もちろん、Maravilla教授をはじめ、僕をサポートしていただいた先生方の助けがあって、研究を完結できたことは言うまでもありません。

また、今回の研究を通じて、follow-up studyの重要性、複数のモダリティーで相補的に解析することの重要性を、再確認できたように思います。

アクシデントに苛まれながらも、乗り越えられたのは、
アメリカで知り合った友人、知人達のおかげ

留学から帰国して、もうすぐ2年になり、キラキラと輝く思い出のほうが多くなってきていますが、ほろ苦い思い出も残っています。つたない英会話能力で、新しい環境に馴染むには、かなりストレスがかかりました。“人の不幸の90%以上は、その人の無知からくる。"という一節をどこかで読んだ記憶があり、そんなもんかな?と思っていましたが、まさしく留学先での不幸な体験は、すべてと言ってもよいぐらい自分の知識不足からくるものでした。ただし、そのようなアクシデントに苛まれながらも、乗り越えられたのは、アメリカで知り合った友人、知人達のおかげです。親身になって、助けの手をさしのべてくれました。同じような苦労をされてきたからからというのもあるでしょうが、温かい人柄によるものが感じられました。一方、日本でのあらゆるしがらみから、一時的に完全に脱却できたことは、留学の大きなメリットでした(当然のことながら、リバウンドも大きいのですが。)また、異文化との交流、今までおざなりになりがちだった家族といっしょに過ごす時間がたくさん取れたこと、向こうで知り合った友人との親睦、あるいは家族との気ままな観光・旅行は、留学をしてはじめて可能な体験だったと思います。最後に、このような機会を与えていただいた小川敏英教授をはじめ、医局の先生方には大変感謝しています。どうもありがとうございました。

2010年2月26日

左) Mt. Lanier (Mt. Lanier national park)
中央) 白頭ワシ (Maravillra 教授撮影)
右) ブルースリー親子の墓