医学部の歴史
鳥取大学医学部
創立75年のあゆみ
創立75年のあゆみ
1945-1950年
1945年7⽉
⽶⼦医専創⽴
下田光造先生を初代校⻑として、⽶⼦医専1期⽣の⼊学式を挙⾏
1948年5⽉
⽶⼦医専から⽶⼦医⼤へ
米子医専は医科大学へ昇格し、⽶⼦医科⼤学の第1回の⼊学式を挙行
1949年5⽉
⽶⼦医⼤から⿃取⼤学医学部へ
国⽴学校設置法が公布され、⿃取農専、⿃取師範、⻘年師範に⽶⼦医⼤を加えて統合し、国⽴⿃取⼤学が設立
1951-1960年
1955年
創⽴10周年
第2臨床講堂で記念式典を挙⾏
同年、⿃取⼤学医学部として、初めての卒業⽣を出す
同年、⿃取⼤学医学部として、初めての卒業⽣を出す
1957年
学内開放
⼤学と学⽣会による学内開放(後の医学展、錦祭に続く)が隔年ごとに⾏われるようになる
1961-1970年
1962年
脳幹性疾患研究施設の誕生
脳幹性疾患研究施設(脳研)が全国立大学5番目に設置
1965年
基礎研究棟及び講義棟の整備拡充
⽊造モルタルの基礎医学等が次々と解体され、医学部側建物群の様相は⼀新した
1965年
創立20周年
創⽴20周年の記念事業として、記念講堂を建築
1966年
学園紛争
授業ボイコットが始まり、学⽣会と⼤学側が対⽴。学⽣と教授会との意思疎通のため「⿃取⼤学医学部時報」を発⾏
1971-1980年
1975年
⿃取⼤学医療技術短期⼤学部設⽴
看護・臨床検査の専門職の育成を目的として鳥取大学医療技術短期大学部を設立
1975年
創立30周年
創⽴30周年の記念事業として、「下⽥光造記念賞」を制定
1978年
下⽥光造先⽣逝く
⿃取⼤学医学部の⽣みの親とも⾔うべき下⽥光造先⽣が、93才にて永眠された。全国各地の精神科医学者、⽶⼦市⻑をはじめ多くの関係者が参列
1981-1990年
1985年
創⽴40周年
開学以来の卒業⽣は2,600名を数えた。創⽴40周年の記念事業として「⿃取⼤学医学部の将来像」と題したパネルディスカッションを開催、記念事業として新たなシンボルマークを制定
1990年
ステロイド医学研究施設から⽣命科学科へ
1966年に設置された「ステロイド医学研究施設」が⽣命科学科(定員40名)として生まれ変わった
1991-2000年
1994年
生命科学棟が竣工
1995年
創⽴50周年
50周年記念式典を挙⾏した。50周年記念誌「⿃取⼤学医学部50 年の歩み ⾶⿃」を発⾏。記念式典と新外来・中央診療棟開院記念式を挙⾏、新たに 同窓会館も建設
1999年
⿃取⼤学医療技術短期⼤学部から保健学科へ
⿃取⼤学医療技術短期⼤学部を改組し、医学部の中に「保健学科(看護学専攻80名、検査技術科学専攻40名」を設置
2001-2010年
2002年
総合研究棟竣工
基礎医学分野の充実と発展を目指して、総合研究棟竣工
2003年
保健学科棟改修
保健学科棟改修工事(1期)竣工
2005年
創⽴60周年
創⽴60周年記念式典を挙⾏、記念事業の⼀環として新たなシンボルマークを制定
2011-2020年
2011年
とっとりバイオフロンティア竣工
鳥取大学発の革新的染色体工学基盤技術の発展を目指してとっとりバイオフロンティア竣工
2014年
鳥取県ドクターヘリ運航を開始
本院敷地内にヘリポートが設置2018年には鳥取県ドクターヘリ運航が開始
2015年
創立70周年
鳥取大学医学部は、創立70周年を迎えた
2018年
とっとり創薬実証センター竣工
染色体工学技術をもとに抗体医薬の開発を目指すため、とっとり創薬実証センターが竣工
2018年
医学教育分野別評価の認定
日本医学教育評価機構(JACME)による医学教育分野別評価の適合認定を受ける
2020年
大学院医学系研究科医科学専攻を設置
大学院医学系研究科に医科学専攻博士課程を設置、医学科の分野を再編し、医学科に医学教育学講座及びゲノム再生医学講座を設置
2020年
創立75周年
鳥取大学医学部は、創立75周年を迎えた
(新型コロナウイルス感染拡大により記念行事は1年延期)
(新型コロナウイルス感染拡大により記念行事は1年延期)