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看護学専攻紹介Division of Nursing

歴史

保健学科看護学専攻の歴史

保健学科(2専攻6大講座)は、平成11年10月1日付で、それまでの鳥取大学医療技術短期大学部(昭和 50年4月設置)を改組し鳥取大学医学部に設置されました。前身の医療技術短期大学部は、医学部附属看護学校及び臨床検査技師学校を改組したもので、医療技術者教育では50年以上に及ぶ歴史と伝統があります。

大正14年4月

財団法人米子病院看護婦・産婆養成所を開設

昭和18年に改称されるが、創立以来昭和22年3月までの間に、21期総計210名の卒業生を送り出している。養成所長、学校長は病院長が併任、講義は病院の医師が当たった。臨床指導は、一般に見学程度のことが多く、時には主任(現代の婦長に相当)が教えることもあったが、現在のように詳しく、深くはしなかった。

昭和18年4月

財団法人米子病院看護婦学校と改称


(昭和20年頃)


手術室(昭和17年)

昭和20年8月

米子病院の医師と看護婦が広島へ救護に赴く

昭和20年8月6日の原爆投下直後、財団法人米子病院の医師と看護婦たちが、広島へと救護に赴いた。写真は、出発のとき、病院前で院長自らが撮った記念写真。「生きては帰れぬ」と覚悟しつつ無理に笑顔を作った、10代の乙女の健気な姿。


(昭和20年8月8日朝)

昭和21年6月

米子医学専門学校附属病院看護婦養成所と改称

昭和20年4月に米子医学専門学校が発足し、財団法人米子病院がその附属病院として、昭和21年6月1日付で国に移管されたのに伴って改称された。こうして新しく出発した看護婦養成所は、さらに発展的解消をとげた。


附属病院の母体となった鳥取県立病院
米子支部病院(明治31年頃の職員)


創立時の米子医専の建物(昭和20年秋)

昭和23年4月

米子医科大学附属医院甲種看護婦養成所と改称

母体であった米子医学専門学校が、種々複雑な経路をたどった末に、医科大学に昇格したことにより改称された。


看護婦および看護学校生徒寄宿舎(斉心寮)
(昭和24年)

昭和23年12月

厚生女学部が甲種看護学校として承認

米子医科大学厚生女学部が保健婦助産婦看護婦法により甲種看護学校として承認された。

昭和26年2月

鳥取大学米子医科大学厚生女学部が認可

かねて二度にわたり申請されていた鳥取大学米子医科大学厚生女学部が看護力の増強、看護内容の向上、看護婦の再教育という三条件を付された上で認可された。

昭和26年4月

鳥取大学医学部附属看護学校と改称

国立学校設置法の改正の結果、鳥取大学医学部附属看護学校と改称された。
(昭和52年3月 閉校)

鳥取大学医学部附属看護学校校章
校章の外郭上部は、鳥の翼になぞらえて鳥大を表し、中央に大きく延びているローソクはナイチンゲールのともした愛の灯で、校章の中心に看護精神を力強く示したものである。NはNURSEの頭文字で看護学校の象徴となっている。鳥の両翼に大学の文字を配し全体として鳥取大学医学部附属看護学校を表徴している。


実習中の看護学校
2期生(昭和27年)


看護学校の講義室
(昭和34年頃)


教育実習

昭和42年4月

鳥取大学医学部附属衛生検査技師学校を開設

同年4月17〜18日に最初の入学試験が山陰合同銀行米子支店(市内東倉吉町)の3階会議室で実施された。第1期生の入学式は同年4月25日、当時の医学部第1講義室で行われた。以前医学部解剖学及び生化学教室が使用していた建物(現在の医学部前の駐車場付近)を校舎として引き続いて使用することになったので、建物はかなり古く、諸処の痛みもひどかった。これに修理の手を加え、実習室や講義室などを作り、やっと開講に間に合わせることができた。また、教官、設備、備品など不足なものが多かったが、医学部から援助を多く受け、出発の第1歩を記した。
そのような環境にあっても、学生の雰囲気は明るく、春、秋のハイキング、夏の大山登山、2年生の修学旅行、時には学生だけのクリスマスパーティなどで、過重な講義、実習の負担にけっこう耐えていたようである。


微生物の実習(昭和45年)


衛生検査技師学校は旧事務本館の左半分を
使用していた。

昭和47年4月

鳥取大学医学部附属臨床検査技師学校と改称

規則改正に伴い、臨床検査技師学校と改組、改称された。学生数が増加したので逐次西半分の方にも講義室などを作り、拡張して行った。(昭和53年3月 閉校)

昭和50年4月

鳥取大学医療技術短期大学部看護科を設置

国立学校設置法の改正により鳥取大学医療技術短期大学部が鳥取に併設された。同法改正省令により看護科が置かれ、同年5月に第1回入学式を行った。


医療技術短大の全景、後方は米子港

昭和51年4月

鳥取大学医療技術短期大学部看護学科と改称
鳥取大学医療技術短期大学部衛生技術学科を設置

国立学校設置法の施行規則改正省令により「看護科」が「看護学科」に改称された。また、衛生技術学科が増設され、看護学科と衛生技術学科の両者が統合された。

組織機構上は医学部とは別個の独立機関だが、同じキャンパス内にあり教職員の人事も医学部との交流が深く、日常の教育研究活動もお互いに提携し合って進めている。そのため短期大学部と医学部はとても密接な協力関係にあるといえる。

医療の高度化・細分化に伴って要求される、看護・臨床検査の専門知識や進歩した技術の職能を教授研究し、併せて豊かな人間性と幅広い教養を備えた、広く国民の保健医療の向上に貢献できる専門職の育成を設立の目的とし、全国の国立大学で7番目、中国地区で最初に設置された。短期大学部の発足により看護学科にも男子学生の入学が認められることになった。


衛生技術学科実習


看護学科戴帽式(昭和57年2月)

平成11年10月

鳥取大学医学部に保健学科を設置

将来の社会情勢および大学の将来像を検討し、鳥取大学医療技術短期大学部を改組し、医学部の中に「保健学科」を設置した。保健学科設置に至るまでに、文部省医学教育課との間で設置に関する折衝が行われ、高齢化や国際医療に対応するようなユニークな教育カリキュラムの編成が精力的になされた。


医学部保健学科の看板設置式