教授森田 明美
このたび、初代の石澤正一先生、能勢隆之先生、黒沢洋一先生に次いで、令和5年1月より、鳥取大学医学部社会医学講座健康政策医学分野(旧 公衆衛生学)の教授に就任いたしました。
中国最古の医学書といわれる漢代の「黄帝内経」に「上工治未不治已病」という記述があります。唐の時代「備急千金要方」には「上医医未病之病、中医医欲病之病、下医医已病之病(上医はいまだ病まざる病を医し、中医は病まんと欲する病を医し、下医はすでに病める病を医す)」とあり、「上医医国、中医医人、下医医病(上医は国を医し、中医は人を医し、下医は病を医す)」という言葉も書かれています。病を治すこと、人を癒すことも、私たち医療関係者の重要な使命ではありますが、社会医学・公衆衛生・健康政策を標す教室として、予防対策や国を始めとした行政への寄与、すなわち上医の視点も須要と考えています。
鳥取大学は、昭和20年代後半からの無医医療地区でのフィールドワーク、岩村昇先生のネパールでの予防医療活動を端緒とする昭和50年代のネパール医療研修など、古くから地域や海外でも活動していました。また現在でも、多くの諸先輩方が行政機関等で活躍されており、最近では、厚生労働省健康局長として正林督章先生が新型コロナ感染症対策の最前線に立たれておりました。
このように、社会医学の重厚な基盤のある鳥取大学において、その伝統を引き継ぐとともに、進取の気風を忘れず、点滴穿石の精神で、教育・研究に励みたいと思っております。
第二次世界大戦が終結し、1947年に国内で最初の公衆衛生学講座が設置された3年後、1950年(昭和25年)7月に鳥取大学医学部にも公衆衛生講座が開設されました。着任された長花操教授は、寄生虫学、衛生動物学が専門だったため、教育・研究は医動物学講座へと引き継がれました。
実質的には、1963年(昭和38年)10月に就任された石澤正一先生が、公衆衛生学教室の初代教授となります。石澤先生は、カドミウムなど重金属の健康影響を中心に研究されていました。翌年には重松峻夫先生が助教授として着任され、がん登録などの疫学研究も開始されています。
1979年5月には鳥取大学の卒業生である、能勢隆之先生が、厚労技官を経て公衆衛生学教室に助教授として戻られ、1982年(昭和57年)4月に2代目教授に就任されました。研究面では、疫学研究に力を注がれ、鳥取県の地域性を生かした大規模な住民健診データの分析と、鳥取の健康政策立案や、高齢化対策や公害問題も含めた地域の健康増進のために尽力されました。能勢先生は、1999年4月に医学部長、2005年4月からは鳥取大学学長に就任されることとなり、2005年3月に教室教授は退任されることとなりました。
2006年(平成18年)7月からは、本学卒業生で公衆衛生学教室に大学院生時代より所属して研究を続けてこられた黒沢洋一先生が、3代目教授として就任されました。研究面では振動障害などの職業病の予防、2010年より環境省が開始したエコチル調査への参画、鳥取大学国際乾燥地研究機構と連携した気候変動と健康、など産業保健、母子保健、環境保健、生活習慣病や認知症予防などの調査・研究に取り組まれました。2019年には黒沢先生も医学部長に就任されています。
2002年には鳥取大学医学部医学科の大講座制への再編に伴い、法医学、環境予防医学とともに社会医学講座を形成する一分野となり、公衆衛生学から健康政策医学と教室名が変更されました。2023年(令和5年)1月より、黒沢先生の後任として、森田明美先生が4代目教授として着任されています。