鳥取大学における染色体医工学研究の歩み
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米国ロズウェルパーク癌研究所 研究員、東京医科歯科大学難治疾患研究所 助手、米国立環境保健科学研究所(NIH) 特別研究員、神奈川県立がんセンター臨床研究所 主任研究員、鳥取大学医学部生命科学科 教授、学科長、鳥取大学大学院医学系研究科機能再生医科学専攻 専攻長、生体機能工学講座遺伝子機能工学部門 教授(21世紀COEプログラム「染色体改変技術の拠点形成」拠点リーダー、鳥取大学生命機能研究支援センター センター長、鳥取大学染色体工学研究センター センター長 併任)染色体医工学研究代表者 染色体医工学の黎明は平成2年4月(1990年)である。その前年、九州大学生体防御研究センター初代センター長であった遠藤英也先生から、当時私が勤務していた神奈川県立がんセンター臨床研究所に電話があり「至急会いたい」との連絡があった。数日後、遠藤先生が来られ、鳥取大学医学部に全国で初めて医学部に医学知識を持つ研究者を育成する学科を設置するのだが、細胞工学講座を担当して貰いたいとの依頼であった。条件として、助教授1名、助手1名、技官1名を自分で採用してよいとのことであった。しかし、まだ研究室は無く、生命科学科棟を建てるべく文科省に要求中であるとのことだったが、結果として、1期生が卒業する3ヶ月前に入居することとなった(裏表紙)。それまでは、遠藤先生の所属する分子生物学講座の2室をお借りすることとなった。生命科学科のその後の発展は何らかの形で、改めて紹介するとして、本冊子においては、細胞工学講座の染色体医工学研究の歴史について報道を通して振り返り、一見、脈絡のない研究のように見える多岐に渡る研究の歴史が、必然性を持った自然の流れであったことを紹介するため、多くの記事から代表的なものを抜粋してまとめた。研究の進め方としてこういうやり方もあることを知り、多くの若い学友の今後の研究活動の一助にして頂きたい。その流れは細胞遺伝学や癌研究が染色体医工学の新分野へ発展した歴史でもある。(2012年7月)はじめに1

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